スポーツ系の習い事にとって、夏は最後の試合の時期。
スポーツは勝った、負けたの勝負事なので勝つこともあり、負けることもあり。
うちの子も、ある種目で最後の試合をかけた大会中。
試合で勝った負けたの結果に親としては一喜一憂するのですが、それが子どもの将来にきっと役に立つと思ってます。
スポーツを「なりわい」として活躍できるのはごくごく一部の選手です。
ただ、スポーツをやっていたことによって将来役に立つことはきっとあるはず。
最近、大阪大学文学部長の文学部・文学研究科の卒業・修了セレモニーでの式辞が話題になっています。
「しかし、文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます」
文学部で学んだ事柄は、職業訓練ではなく、また生命や生活の利便性、社会の維持・管理と直接結びつく物ではないけれど、文学部の学問の経験が本領を発揮するのは人生の岐路に立ったとき。
「恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です」
「その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう」
「人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです」
いまわが子も、某競技で最後の試合をかけた大会中。
スポーツをやっていたという経験も、本領を発揮するのは人生の岐路に立ったときではないか。
勝った負けたは時の運。
勝ち負けも大事ですが、その経験を将来役立てて欲しいと思う親心です。